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第一話

 嵐の夜のことだった。
 海は荒れ、陸は豪雨に身を叩きつけられる夜。
 ヨーロッパに本社を持つ貿易商アーロンは窓から不吉な雨に見入っていた。ヨーロッパ全土はこの数日間、まともに陽の目を見ていない。天からは鉄砲の玉のように雨が降る。港場はいつも荒れ波も高く近づけば人程度ならば飲み込もうという獣の如き危うさを見せ付けた。
 そんな毎日を彼は今頃、対岸のイギリスはどうなっているのか。家に残してきた愛娘エルザはどのようにしているのだろうかと思うばかりであった。
「親方!大変です!大変です!」
 ゆったりとした時の流れをせき止める一声だった。中年の男はノックもなしに扉を強引に開きずかずかと入り込んでくる。その力やそのまま扉を壊すのではないかと思われるほどの力で押し開けられたものだからアーロンはびっくりして目を見開いた。
「どうした、サイモン。そんなに力を込めるな、鉄の扉ではないのだぞ。そっと開けないか。それにお前、びしょ濡れじゃねぇか」
「すいません親方。それより大変なんですよ、親方!」
 全身を雨に打たれながら走ってきたのだろう。息を荒げ頭の先から足の先までずぶ濡れになっている。そんな彼が水を拭きもせずに来たものだから部屋には水溜りのような跡が出来てしまっている。
「それで、何が大変なんだ?そんなに慌てて来たんだ。それ相応のことなんだろ?」
 ぜいぜいと肩で息をするサイモンは深呼吸をして言った。
「二日前に出航した便があってでしょう。ほら奴隷の奴らを乗せたあの船ですよ。それがなんでも座礁したとかいう報告が入りました」
「馬鹿な!あの船が簡単に…座礁だと!?場所は!?」
 一瞬、頭が真っ白になる。外は嵐だと考えれば絶対にない話ではない。
「それがここからそう遠くない南西の海岸らしいんですが…」
「それで生き残ったものは?第一、だれがこの事を知らせてきた?わしはまだ見とらんのだ。話だけでは信じられんぞ」
「はい、事を知らせてくださったのはルーマニア地方に住まう伯爵で確か名前はログナーとかいう男でした。その男が私の就寝所へやって来て言ったんですよ。私が来るときに行き違いになった船がありその船が座礁したと。それで助けた者が親方の名前をだしたと」
「着たのか?そのログナーと名乗った伯爵は?」
「へぇ。今、私の就寝所で待っているはずです。それとログナーという男、親方の事を知っていた様ですが…お知り合いで?」
「ああ、知り合いだ。だが彼とはもう二十年は会っておらん」
 サイモンはアーロンの言葉に首をかしげる。
「そんな二十年だなんてご冗談を。どう考えてもここ一、二年でしょう」
 今度はアーロンが不思議と思う。どういう訳か問う。
「だってありゃまだ二十そこらのなりですぜ。いや…それ以下かもしれませんがね。とても二十年前に親方と知り合っている仲には見えませんでしたよ」
 とてもサイモンが嘘をつくようには思えない。かと言って彼がやってきた男が本当に自分の知っているログナー伯爵であればとても二十歳程度では計算が合わない。
「よし、そのログナーと名乗った男はまだいるんだな。ならばすぐに彼の元へ行くぞ」
「へい!」
 気が気でならない。ログナー伯爵と名乗る男の事もそうだが座礁した船のこと、死亡した者達や船員たちのことを早く詳しく知りたい。なにより積荷はどうなったのか。心配事はたんとある。
 二人が会社を出るとすぐに猛風と豪雨に晒された。痛く突き刺さるように横降りの雨はいく手を遮るように叩きつけてくる。その中を二人は一刻も早くと傘を指さずに走っていく。たとえ傘を手にしたところでこの風だ、そのままどこかへ飛ばされるだろう。
「男はこの中をやってきたのか?」
「ええ、驚きでしょ?でも男は濡れてなかったんですよ。もう新品の服を着たかのように艶のある美しい黒い服でしたよ」
 まったく奇妙なものだ。港には雨風を凌いでサイモンのいた就寝所へ行く道はない。必ず雨に打たれるはずだ。今の二人がいい例である。どの建物も雨風を恐れて戸以外は頑丈に締め切っている。もちろん建物の中が繋がっているはずもない。ではその男はどうやって就寝所へやってきたのか。
「馬車か?」
「いえ、辺りに馬なんかいなかったんです。いたってこの嵐です、走りやしませんよ」
「だろうな」
 二人がそうこう言っている間に就寝所につく。就寝所といっても港から離れらない社員が懇願してきたために借りた安宿だ。ここでサイモンをはじめとして三人ばかり寝ている。当然社長であるアーロンはさきほどのヨーロッパ社の事務所に少しばかり豪華な寝室を設けている。
 サイモンが戸を開けて入る。中は安宿のままですぐにカウンターが現れる。この建物の管理をしている男がいる。その人物は宿を買い取る前からここで働いていたようでここを追い出されると働く場所がないとごねた男だった。
「おやおや、親方さんじゃねぇですか。こんな夜更けにどうなさったんです?」
「ログナーと名乗る伯爵が来たようだが彼はどこに?」
 男は人差し指を立てて左を指す。そちらには木のテーブルと椅子がいくつか置かれている外の雨音に耳を傾けている男がいた。その男は美しい銀に輝く長い白髪に黒を基調とした服を着ている。その特徴的な髪以外は黒で統一された男はゆっくりとアーロンを見た。
「お久しぶりだね、アーロン」
 長い髪の間から覗くその顔は驚くほど白く血管が薄く浮き上がっている。奇怪な肌をしているものの顔立ちはよくまるで女のように美しい。
「ひ、久しぶりだな…」
 声が震える。
 間違いない。彼だ。
 二十二年前、まだ若かったアーロンは娼館をいくつか経営しているだけの男だった。もちろん計画はあった。今の会社を設立するという計画だけは。しかしそれを実現するだけの資金がなく娼館からの稼ぎだけでは到底、不可能だった。そんな彼に手を差し伸べた者がいた。
「二十二年…二十二年か…懐かしいな」
 間違いない。目の前にいる男は町ないなくあのログナー伯爵だ。しかしどういう訳だ。彼はあの頃と変わっていないではないか。いや、そうではない。まるで若返っているように見える。
「ほんとうにログナー伯爵か…」
「何を言う二十二年前、君に莫大な資金を提供したのはこの私だよ。しかし随分と歳を取ったね」
 彼と出会ったときのことだった。今日と同じような嵐の夜に開かれたパーティーだった。その時も今と同じように一切雨に濡れていない姿をしていたのを憶えている。ルーマニアのスロバキアという田舎から出てきたという割には都会的で話も合う人物だった。加えてその美貌と金だ。彼の噂はすぐに広まった。なぜか彼はアーロンを気に入り何も気兼ねなく資金を与えた。話によるとアーロン以外にも受領したものはいたらしい。しかも利息はなく返せとも言われていない。皆はそんな彼をすばらしい人間だと思ったようである。
 しかし気味が悪いという者もいた。資金を得た者達は一様に成功を果たし現在に至る。
 まるで魔物と契約したように。
「そういう貴方はあの頃と何も変わっていないようだが」
 ゆっくりと腰を挙げ近づく。立ち上がれば彼が本当に女のように見える。男とは思えない筋肉量。背は少しばかり高いが美の極致に達するであろう顔と細身の身体が相まって妖艶な香りさえする。腰の辺りなどくびれが服の上からでもはっきりとわかる。
「そうでもないさ。身体はこうだが声は枯れる、調子の悪いときは歩くことさえままならぬ身。私の身体は以前と変わらず病に冒されたまま」
「まだ治療の方法は見つかってないのか?ほら専属の医者がいたろ?あのとっぽい兄ちゃんだよ、わしはまだ憶えておるぞ」
「ああ、元気にしている。彼は…」
「あのう…親方」
 袖を引っ張りながらサイモンが声を掛けた。
「服を拭きましょう。それに船のことを聞きませんと」
 ログナーとの会話に気を取られて自身がびしょ濡れであったことを忘れていた。足元には水たまりが出来ていた。そうだなと言って先程、伯爵の座っていた場所へと二人で向かう。もちろんサイモンが相席することは無く彼は濡れた服を拭きながら自分の部屋へと戻っていった。
「突然のことで忘れるところだった。君がここへ来た理由、私の会社の船が座礁したと聞いたのだが誠か?」
「ああ。本当だよ。私がスロバキアに住んでいることは憶えておいでかな。そこからイギリスへ向かう途中のことだ、何艘もの船と行き交うなか一艘の船が座礁する場面に出くわしてね。すぐに救出に向かったのだがやはりこの嵐助けようにも助けられず運良く生き残ったものは数人だったよ」
「では乗っていた荷は?」
「荷?やはり君はそちらが大事なのだな。船員や奴隷たちのことはいいのかい?」
 伯爵の瞳が蝋燭の炎に揺らめく。ぞくっと背筋を指す様な奇妙な感覚。獣ではなくまるで蟲の、蛇の眼に似た感覚だった。
「伯爵、あの船の中を見たんだろう?ならわかる筈だ。十や二十の奴隷など比べ物にならないほどの荷があったのを。それにわしはこれでも商売人。真っ先に金を案ずることのどこに間違いがある」
 テーブルを強く叩きながら怒る。舐るような瞳に挑発され不気味な悪寒に晒された動物が触発されたかのようであった。
「そうだな。でなければああまで会社は育つまい。荷については雨で殆どがやられておったよ。船もそこに穴が開き修復にはそれ相応の時間と金が必要になるだろう」
 冷静であり続ける伯爵。
「そうか…そうか…」
 うなだれていく。
「古き友よ、あの荷はそれほどまでに大事なものだったのかな」
 頭を抱え、うなずくことしか出来ないでいる。頭の中ではどうすればいいのか全く浮かばない。
「ああ、そのとおりだ。あの船にはわしの」
「アヘン」
 口を挟むは伯爵。アーロンは震えるばかり。アーロン貿易社の積荷は物だけに限らない。奴隷の人身売買をはじめとし最近では中国へのアヘン輸出も当然のように行われている。
 彼の娼館は一部の貴族から柄の悪い者まで誰彼構わず受け入れた。それこそ変態じみた行為を強要する狂人のような男から紳士まで。そこで得られる情報はアーロンにとってはかけがえの無いものだった。ある貴族がアヘンのことを話したのだ。紅茶よりもはるかに儲かることを察したアーロンはすぐにアヘン窟を作り奴隷たちを集め製造に着手した。知人を介し中国への輸出も他を圧倒する速さではじめた。一時ではあったがその間に彼は一財産作りあげた。他社を吸収し、一回りも二回りも大きい船を作った。
「あの船が沈むとは…」
「どのような船も沈むもの。海には魔物が住むからな」
 この度座礁した船にはアーロン貿易社の大半を占めるアヘンを乗せていた。というのもアーロンのもとにやってきた商人は大量のアヘンが必要と買い付けに来たのだ。もちろんその商人の話にはすぐに乗った。
「それでどうするつもりかな」
「なに?」
「これからだ。私が見たところあの量のアヘンだ。再び同じ量を得ようというのはさすがの君でも不可能だろう。天災だからと向こうが納得するとは思えない」
 その通りだ。商人がこちらへ来た際に金の受け渡しは済ませてある。返金し済まなかったで済む話ではない。おそらく会社の受ける損害で半分…いや大半は失うだろう。なにより失ったアヘンの対価を作り出すのは至難の業。伯爵の言うとおり不可能に近い。
「そこでだ」
 伯爵の眼光が突き刺さる。懐を抉る様な声が囁きかけてくる。
「私はあの二十二年前のように私が手を貸してやっても構わないと思う」
 何を言っているのだ、この男はと思うばかりである。
「馬鹿なことを!自身が言ったばかりではないか。不可能と。あれがどのくらいの金かと解っているはずだ!それをなぜ」
「なにもただでやると言ってはいない」
 瞳の奥底、喉の奥から狂気を感じ取る。伯爵は本当に人間なのか。まさに怪異の者である。
「娘を…君の娘をいただきたい」
 刹那、アーロンは激昂する。
「ふざけるな!」
「しかし二十二年前と今回の二件を足せばそのくらいの利を得てもいいと思うがな」
「二十二年、二十二年だぞ!一切の連絡もなしに勝手に姿を消したのは伯爵ではないか!あろうことか娘がほしいだと…」
「ああその通りだ。ここへ来る前に私はイギリスへ行っていてね。その時君の実家を訪ねたのだ。その時、美しく可憐な少女を見た」
「行ったのか?」
 伯爵は静かにうなずく。
「それでエルザには言ったのか?そのことを」
「いや、まだですよ。当然でしょう、貴方の船を見たのは昨日のことだ。慌てて引き返してきたのですから。ただ、彼女の美しさに私の心が惹かれたのです」
「それだけでは…な。あの子はわしの一人娘だ、簡単にやるなどとは言えん」
「それもそのはず。ですからどうでしょう、今度私の屋敷で開かれる晩餐会に二人で来るというのは。その時彼女がはいと答えれば婚姻。いいえと答えれば私は無償で貴方に金を差し上げるということで」
 エルザ自身で決めさせるというのか。よほどの自身があるというのだろうかこの男。しかしこれは好都合かもしれんとアーロンは頭の回転を早める。単にエルザにいいえと答えさせれば婚姻などなく無償で得られる訳だ。旨く丸め込めばいいだけのこと。なにより現在の会社を失うことは絶対にあってはならないのだ。
「し、仕方ない、か…」
「では承知していただけるな」
 返事はひとつしかない。アーロンはその場でうなずいた。伯爵はすぐさま立ちあがる。懐より白い封筒を手にする。
「これは招待状だ。私の城は少しばかり荒れた地にある気をつけてくることだ。とくにお嬢様には怪我の無いように」
「金は!?」
 咄嗟に口にしてしまった。
「慌てるな。君が人生を捨ててしまいたくなるような大損害を出してもなんと言うことの無いくらい財産は持っている。私の城に来たときに好きなだけくれてやる」
 伯爵の口元が緩む。妖しくも美しいその光景に膝は振るえ満足に立っていられなかった。伯爵が宿から出て行くのを見届けると気が抜けてしまい崩れるように椅子へ腰を落とした。
「エルザ…」

 愛しき娘の名を口にする。
 たしかにあのログナーと名乗る伯爵の噂、人格は知っている。なにより二十二年前の自分を助け今の自分があるのは彼のおかげ。しかしあの風貌。奇怪な男に娘をやることなどできない。いや、あの奇妙な男をそもそもエルザは気に入るだろうか…いや、それはない。いくら美しくもあれでは化け物。わしの娘が自ら身を捧げるとは思えぬ。
 奇妙なくらいに笑みがこぼれていく。
 誰一人いない小さなテーブルの前で独りアーロンは笑いを堪え切れなかった。
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之ち

Author:之ち
之ち(ユキチ)

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