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第六話

 伯爵と手を取り合った日から数日。私の心はときめき身を焦がしてしまいそうなほど火照っていた。彼の瞳は水晶のようにきらめき私を虜にする。肌に浮かび上がる血管は確かに不気味さがあるけれどそんなものが完璧に吹き飛んでしまう。
 お父様はログナー伯爵のことを良く思っていないのは態度で分かってしまう。伯爵だって人間ですもの、嫌う人もいて当然。問題は私がどう思うかだと思う。幸いメイドのリリィは伯爵のすばらしさをわかってくれた。あの夜の出来事で伯爵を迎えた私達には同じように彼への憧れがある。リリィは私の結婚を心から喜んでくれた。残念なことに幼い頃よりずっと私の傍にいた彼女は伯爵のお城へ行くことが出来なかった。お父様が屋敷を留守にする訳にはいかないと反対したのだ。なによりリリィがいなくなると屋敷には誰一人としていなくなる。お父様の身の回りをお世話する人がいなくなるし話し相手までいなくなってしまう。それは少し可愛そうだと納得した。
 彼がロンドンへやってきた。
 全身を黒服で纏い遠くからでは表情も見えなかった。けれど私には伯爵の微笑んだ顔が見えた。付き添っている男性から紹介を受ける。彼はトーマスという名で伯爵の主治医だろいう。体格がよく私は見上げなければ彼の視線を追えなかった。彼によると伯爵は陽の元では満足に動くことが出来ないため昼間はいつも傍にいるらしい。
「これからは貴女もこうやって伯爵の傍にいるのですよ」
 硬そうな頬をやんわりと持ち上げて彼が言った。大きな身体からは想像できないくらいに優しい声と笑顔だった。彼も伯爵のことが好きなのだ。私は微笑んではいとうなずいた。伯爵はロンドンの港で私を皆の前から見事にさらってくれた。私は彼の手を掴んで船に乗ったのだ。
 周囲が祝福の歓喜を上げて船を見送ってくれる。私はその中の二人へ姿が見えなくなるまで手を振り続けた。二度と会えないわけではなかったけどやはり簡単に合える場所ではないのでわたしは力いっぱいに腕を動かした。最後に私の元気な姿を見てほしかったから。
 伯爵の船はゆったりと進んでいく。伯爵の身体を気遣い大きく揺らすことはできなかった。花嫁を乗せた船はそのまま城を目指すかと思ったが伯爵はいくつか立ち寄るところがあるといった。城に着くのは一週間以上も後になる。
「城を留守にしてもいいのですか」
 雲ひとつ無い昼間だというのに船の中は暑くはない。長い船旅を快く送るために風の通りから陽の光を遮断している。
「大丈夫だよ。城にはイゴールが残ってくれている。私の留守中は彼が仕事を取り計らってくれる」
 船の中に小さな別室がある。二人分ほどの広いベッドとテーブルに椅子が用意されたその部屋は伯爵専用である。そして私の部屋でもあると言われた。船はこのまま波に揺られてジブラルタルにある伯爵のご友人宅へと進む。そこでは今か今かと待っている古い友人がいるらしい。
「イゴールってあの鼻の長い方ですか?」
「ああ。彼は私の父の代から城に住んでいてね、よく尽くしてくれるのだ。彼もまた私の古い友人であり助言してくれる人だ。私が言えたぎりではないが彼も常人とは少しばかり人相が違っている。それを気味悪くする人もいるがエルザはどう思う?」
「私は特に…人の顔なんて綺麗な人もいれば濃い人もいます。そこまでしてどうかと思うことはなかってものですから」
 そうかと伯爵がうなずいた。
「よろしいですか?伯爵様」
「どうしたトーマス。もう薬の時間か?」
 扉をノックして入ってきたのは彼の医師である。結婚式の間ずっと隣に立っていた彼である。伯爵はベッドへ身体を預けるように横になり左腕を晒す。顔と同じで驚くほどの白さであった。
「エルザ様、伯爵の妻となられたあなたには知っておいて貰わなければなりません。伯爵は持病のせいで子供の頃より苦しんでまいりました。昼間は太陽の下を満足に歩くことは出来ず、常人よりも体力が少なく筋肉もつかない。まして五感も常人より少しばかり鈍いのです。私以外にも数十人の医者を世界各国から集めたのですが伯爵の身体を直せる者はいませんでした。しかしその身体を支えることは出来ます」
 そういって取り出したのは注射器だ。細く小指より細いであろう小さな注射器にはすでに液体が入っている。
「これは栄養剤です。これを陽に二本。朝と昼の二回に分けて打つ事で生活能力に支障をきたさないほどの体力は保持できます」
「私はね、それほどこの身体が嫌いではない。たしかにこの病は私の体を蝕み、力を吸い取っている。しかしな、悲観することは無い。むしろ感謝している」
 私が悲しい顔をしていたのを伯爵はわかったのだろうか。やさしく微笑んでくれている。隣に立つ私の手を取る。冷たい彼の手が触れる。
「こうして触れれば人の温かさが伝わってくる。おそらく普通の人が触れ合うものと比べるとそのぬくもりより遥かに暖かみがある。さっき五感が鈍るとトーマスは言ったが嗅覚だけは別格でね。鼻が利くんだよ。この部屋からでも潮の香りはする。目では得られない物を与えてくれるのだ。私はそれを大事にしたい」
 私は「はい」とだけ答える。注射器のなかが空になる。
「ジブラルタルまではあと数日かかります。エルザ様、その間伯爵の傍にいてもらえますかな?」
「喜んで」
 ベッドの横で彼と一緒にいる。トーマスさんがどう言うかなんて関係なく私は彼の傍にいることにしていた。まだ式を終えて数時間。私はもっと彼の事を知りたい。
 やがて陽が落ち船は暗黒の海を漂う。風に押されて進む巨大な船は私と伯爵の二人を残し休みについていた。私たちは互いのこれまでを話していた。伯爵がはじめてロンドンに来たときのこと。父のアーロンと出会ったときのこと。とにかくなんでも話しあった。
 楽しい時間が経つのは早いもので私たちはその夜を終えることにした。私は緊張したが伯爵の隣で横になる。当然、夫婦となった私たちにはそういったことをすることも当然であると私は思っていた。男と女が同じベッドで何もせずただおしゃべりをして夜を明かすなどあるはずがない。私の心はどきどきと早鐘を打つ。伯爵の手は私の手をぎゅっと握っている。それだけでも緊張するのにこれからを考えると頭の中は真っ白になっていく。
 しかしいつまでたっても伯爵が動くことは無かった。すやすやと寝息を立てて私の隣で寝ているのである。蝋燭の灯りが消えそうになっている。蝋が少ないのだなどと考えられるほどに冷静さを取り戻した私は彼の寝顔にキスをして眠りについた。
 唇は真紅のばらのように赤く染まっていた。
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2013-01-08 : 小説 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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之ち

Author:之ち
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