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第十二話

 イギリスでの滞在から戻ってきて三日。城の中には陰鬱な空気が漂っている。このところ不幸が続いている。イヴの両親が死んで近隣の村では死人が出る。ダリオ氏は身体の調子が戻らずまだお城に戻ってこない。お昼頃になるとトーマスが村にまで行って診療をおこなっているがどんどん状況は悪化しているようだ。私の肖像画はおそらく完成しないとまで告げられた。最悪なことに私の父までもがその不幸に続いて逝った。伯爵たちの心遣いは痛いほど伝わってくるが私の心が晴れることは一向にない。
「悲しいわね。さぞお辛いでしょうに」
 イヴは私の傍にいることが多かった。屋敷より連れてきたリリィはトーマスと共に村へ出かけていることが多い。助手のいなかったトーマスの手伝いをしたいと彼女が言い出したのだ。私はとくに困ることも無かったので彼女のやりたいようにさせている。彼女も私と同じように父の傍にいたのだ。心に傷を負っているに違いないから。
「でも私には伯爵がいるもの。リリィだってイヴもいるわ」
 お城の中で生活のリズムが一緒なのはイヴくらいなもので私たちは昼過ぎに起きて夜の静寂と共に眠りにつく。ただ彼女は私より少し早めに寝ることが多かった。イヴはもともとからだの調子も良くないようで日中、お城の外で散歩しているときなど定期的に日陰で休みを取るほどだった。それすらも彼女の可憐さを引き立てるものに感じる。
「そうじゃないわ。血縁を失ったときの痛みというのはね、それよりももっと痛いものよ。だから今の貴女は大事にしないといけないの」
 私には言葉の本意がわからない。抽象的な表現だと思う。おそらく彼女の故郷や両親の信仰なんだろう。彼女は私の胸を指で指す。ちょうど心臓のあたりだ。
「その胸の内に痛みはあるのよ」
 イヴはたまに私を誘惑しているような態度をとる。不適に笑うあの唇と赤い瞳は私は時折吸い込まれそうになる。その時、必ず想うのだ。私の好きなのはログナー伯爵であると。
「村へ?」
「ええ。ダリオ氏の容態も気になるでしょう。それに外の空気に触れることも今の貴女には大事なことですよ」
 突然のこと。いつものようにお昼頃に起きてくるとトーマスに誘いを受けた。伯爵はまだ眠っているしとくにすることも無かった私は承諾した。
「そう、そうね。気分転換と思えば」
 ドレスを択んでいるとき部屋のドアが開く。下着姿の私は突然の事に驚いて「きゃっ」と声を上げ振り向く。女中たちかと思ったら入ってきたのはイヴだった。
「エルザ様どちらに行かれるの?」
「トーマスたちと一緒に近所の村までいくの。あなたも来るといいわ」
 イヴは少しだけ考えて「はい」と言った。どうせならと彼女にもドレスを択ばせる。イヴはいつも黒い服を着ている。たまには他の明るい色の服を着てもいいと思った。でも彼女が択んだのはまたも黒いドレスだった。私たちは比較的、軽いドレスを着て村へと出かける。近隣といっても馬車で三十分はかかる。陽は強くイヴは日傘を差したままだった。微風が緑を運び私達四人を村まで導いた。村はあまりいい雰囲気で私たちを迎えはしなかった。まだ昔のことを引きずっているんだろう。トーマスの話を思い返す。
「奥様こちらへ。ダリオ、奥様が来られましたよ」
 村の宿の一室へと入る。ベッドには最近見ていなかったダリオ氏が横になっている。お城へやってきた頃とは別人のようだった。力が感じられないと言うかあの強い眼差しがそこにはなかった。
「奥様、もうしわけない。わしの身体がこんなふうでなければすぐにでもまた描きたいのだがどうやらまだ直らんようでな。やはり歳かな」
 彼が咳き込みながら笑う。私は手を握ってただうなずくことくらいしか出来ない。私たちが彼の部屋にいるとゆっくりとイヴが入ってきた。彼女にも肖像画のことは話してある。どんな方なのかと楽しみにしていたのだから会いたくなったんだろうななどと思っていたらダリオ氏は呼吸を荒げだす。突然のことにトーマスが私たちを部屋から追い出した。
「私のせいかしら」
「ダリオ様は陽に何度かああやって呼吸が不安定になるの。ですから気にやむ必要はありませんよ」
 トーマスを残して宿からでると村人たちが大勢で一箇所に集まっていた。中心には牧師が一人立っているのが見える。
「またですね」
 リリィはそれがなにかわかっているようで問うと教えてくれる。
「トーマス様からお聞きになられていると思いますがこのところ頻繁に死ぬ者が増えているのです。つい先日も他の村で死人が出ました。あれはその埋葬ですわ」
 強い日差しの中、村人たちは悲しみにくれている。なにも私ばかりが不幸なのではなくこの辺一体が総じて不幸なのかもしれない。そんななかイヴが体調を崩し日陰へとむかっていく。足取りは重く私は彼女の傍に寄り添うように日傘を持って歩く。リリィにはトーマスのほうへ行ってもらうことにした。今日はいつもより陽が強く感じられる。きっとそのせいだろう。
 私たちは二人して木陰に隠れる。私は牧師たちの方を見ていた。祈りが済むと彼らは歌いだす。賛美歌は清く高らかに斉唱され私たちにもそれが聞こえる。しばらく聞き入っているととなりでイヴが震えはじめた。
「大丈夫なの?こんなに震えて」
「ええ、ちょっと気分が優れないだけよ」
 気分が優れないというものではない。青ざめた表情をしている。私がすぐにトーマスを呼んでこようかと聞くと彼女はすぐに納まるといって聞かなかった。私が離れることを拒んでいる様でもあった。
「なにあの歌、気持ち悪いわ」
 賛美歌が終わると一言口にする。
「あの歌大っ嫌い」
「賛美歌よ。死者の魂を弔う歌なのにそんな事云うものじゃないわ。貴女の故郷では死んだ人への手向けは無いの?」
 イヴはただ微笑むだけで何も答えてくれなかった。賛美歌に対してだけじゃない。彼女の口から語られる宗教に類することは私達の考えとはどこか違っている。土地の風習なのかはわからないけれど私には同意できなかった。
賛美歌の終わるまでイヴは震えていた。私には何も言わずにずっと笑顔を絶やすことは無かった。身体の調子が悪いというだけで片付けていいのだろうか。夜になったら伯爵に聞いてみよう。もっとイヴの事を知りたい。
 父の亡くなった後、伯爵はこれまでよりもずっと忙しくなったようでイゴールも手が空かないようだった。とくに伯爵は外へ出かけることが多く昼間であろうと馬車を駆り出し遠くの町へと出かけていく。イゴールによるとこのところ頻繁にワルシャワの知人の宅へ自分のほうから赴いているらしい。「妻として私も行かねばならないか?」と問うと今は心を落ち着かせていることが大事だとお城から外へ出ることを許してくれなかった。
 近頃では夜になるとお城の周りを囲む森から野犬や狼の遠吠えが聞こえてくるようになった。外壁に守られているこのお城の内部には入ってくることはないと皆が一応に答えるがそれが信頼できるのだろうか私は心配だった。城には外壁のない場所だってある。もしそこから狼が入ってきたら?私はとても恐ろしくて夜中にはあまり屋敷のほうへ降りる気にはならなかった。おかげでイヴとの会話する時間もあまりとる事も出来ず夜は足早に自分の部屋へと戻っていった。イヴはというと私のことを「臆病ね」なんて言っていてからかってくる。
 伯爵がワルシャワでの滞在を終えて帰られるときのこと。まだかまだかと待っているとき狼たちの声がいつもよりもより一層大きく木霊した。お城の中では女中たちが怯えました。その声は轟音で響く。激震して私達の背中を駆けていったのだから。城中の男たちも同じようですぐに何かあったのだと城を駆け出しました。その時、私には誰の制止にも止まれない心がありました。まさか伯爵の身に何かあったのではそればかりが心と頭の中で膨らんで離れなかった。身体は自然と動き駆け出していく男たちの群れに追いつこうと必死になって走ります。傍ではリリィが一緒に走っていますが彼女は城へ戻りましょうとばかり言っていた。森とはいえ城への続く道があって人はそこを通る。それは一本だけの道で迷うことも無いはずです。男たちがこのまま走って誰にも会わなければ誰の身にも不幸が起きなかったのだと安心できる。しかし私達の不安は見事に的中してしまう。
 一台の馬車がボロボロになって横倒れていた。馬の身体には無数の傷跡がある。歯形と爪による裂傷。私たちがやってきたときにはもう息もしていなかった。そして眼前の馬車はまさに伯爵の物であった。男たちは誰も乗っていない馬車を見て慌てて叫び始める。今夜、最悪なことにトーマスは伯爵の傍にいなかった。彼は今男たちに混ざってまさに伯爵の名前を叫んでいる。私も叫ぶが私達の声はただ闇に吸い込まれるだけで伯爵の声はおろか姿形すら見えなかった。まさかと不安がよぎる。父に継いで伯爵まで…そんなわけあるはずがないと心を強く保とうとするが身体の力は抜けていくばかり。リリィが肩を貸してくれなければ歩くこともままならない。次第に涙も流れ始めて私は数人の男たちとリリィに連れられてお城へと戻される。
 泣きじゃくる私にリリィは何も言わずただ傍にいてくれた。彼女がいてくれなければ私はどうなるか解らない。不安ばかりがよぎってしまう。城へつくと女中たちが慌てて飛び出してきた。中には頬を赤く腫らせている者もいる。彼女たちを割ってイゴールがやってくると彼が一言だけ「伯爵様が戻られた」とつぶやいた。それは大変良かった事なのだがどこかおかしい。伯爵は今しがた自分の部屋へ戻られたのだが暫く一人になりたいと言ったきり出てこないのだと言う。さらには自分の身体に触れた女中の頬をひっぱたくなんて酷いこともしたと聞く。その女中がなにか無礼を働いたわけではない。伯爵の身体は傷だらけなんだというそれを介抱しようと服を脱がそうとしたとき肌に触れて伯爵が怒ったのだという。私には信じられなかったが彼女の頬は確かに赤い。
「おそらく野犬か狼にでも襲われたのでしょうな。それで気が動転しているだけじゃよ。明日になれば全て元通りになる」
イゴールはそんなことを言った。お城の中は一時騒然となったが伯爵が戻られた事で私たちは安心した。翌朝、傷だらけの身体で伯爵は屋敷に来ると昨夜のことを話し始める。私をはじめイゴールもトーマスもその言葉に耳を傾ける。襲撃があったのはあたっている。私たちが聞いたあの轟音がその襲撃の音だった。馬車は城を目指してゆっくりと歩を進めていたところ狼の群れが飛びかかってきた。抵抗もむなしく馬は声を上げてもがき息絶える。馬車から飛び降りた伯爵はお供と共に城へ向って一目散に走った。しかしお供の一人が狼たちにやられ森へと連れ込まれる。群れは群れを呼び大群の河を作り伯爵たちを追いかける。私はその話を震えながらに聞く。当然、連れ去られるお供の人はここにはおらず城へ戻ってきたのは一人だけ伯爵だけである。伯爵は何とか助けようとお供の傍へ行ったが間に合うどころか自分さえも死んでしまうと感じ引き返した。おそらくこの時にすれ違ったのだろう。トーマスがそう言った。私たちが道を走っているときに伯爵は森の中にいた。だから出くわすことがなかったのだ。
「しかしえらい目にあった。ここはいつから物騒な場所になったのかな」
 さびしい言葉に思えた。彼はこの言葉を最後に再び部屋へと戻った。私は全てを失いそうで怖かった。不幸が続く。いつか晴れるであろうこの闇を払いたかった。
 お昼に私は気分だけでも変えようと赤い樹の下へと向った。赤い樹はここへ来たときよりも赤く身を焦がしているようだ。太陽の光でそれが異常なまでに赤く光り昂揚していく。私の胸の高鳴りも激しく揺さぶられる。
「どうしたの?エルザ」
 ドアが開いた音は聞こえなかった。閉めるのを忘れたのか音も無く現れたイヴはそこに立っている。
「伯爵のご様子はいかがでしたか?」
「今は眠っているわ。傷も大した事無いみたい」
「それはよかったわ。伯爵に何かあったらそれこそ一大事ですもの。伯爵が死ぬところは想像もつかないけれどもしも…ということもあるわ」
 なんて不吉なことをいうのかと思ったけれど彼女も伯爵のみを案じていたのは間違いはない。言うのはやめておこう。イブはそっと近寄り私のそばを抜ける。彼女からはバラの香りがした。私にはその香りがなにであるか知っている。それこそ渦中の人物である伯爵の作ったもの。あの地下室で見た香水だ。
「気づいた?伯爵にもらったの。私薔薇が好きなのよ。だから一瞬で虜になっちゃった」
 私はただ「そう」とだけつぶやく。彼女の笑顔は私に向けられている時々私に向けるあの魅了しようとする笑顔とは別で少女の笑顔があった。その微笑は恋人に向けるものとは違いどこか父親や親類への笑顔に近いように思えた。イブが浮いているようにすっすっと樹へと近づいていく。なんだろうかとても美しい姿に見える。けれど妖しくも見える。
「私ね。両親よりも伯爵といた時間のほうが長いのよ。彼は私を色んな所へ連れて行ってくれたわ、エルザさまの故郷であるイギリスにも行ったわ。私は彼のように社交的ではなかったから影のように付き添っていたの。楽しかったわ。まるで家族と旅行へ出かけているようだった」
「伯爵の事……好きなの」
 私は考える間もなく聞いていた。イブは首を横に振った。赤い樹にそっと触れている。風になびく髪が心を放さない。
「安心して私の心は」
 手を放してこちらへくる。私の体は微動だにせずイブの瞳に吸いつけられるように立っているだけ。その場から動くことはできない。
「あなたが私の心を虜にしているもの」
 ひどく熱い手のひらが私の頬に触れる。彼女の身体がこれほどまでに熱く感じたのは初めてだった。謎めいた彼女の行動は時に私を惑わす。そして私はその妖しくも美しい幻想のような瞳と声に惹きつけられる。
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2013-01-14 : 小説 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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之ち

Author:之ち
之ち(ユキチ)

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