FC2ブログ

第十三話

 伯爵の身体が完治したのは数日後だった。彼は身体が治ったあと再び仕事だといってお城を後にする。もちろんイゴールもトーマスも止めたが伯爵は聞く耳をもたない。みんなの心配を振り切って向かった先はイギリスだった。彼はたった一人で向かったのだ。せめて私もついていくといったが彼には私の声が届かなかった。
 伯爵のいない城では何事もゆったりとした時間の流れになっていた。イゴールと下男たちは仕事に大忙しだったが私や患者のいないトーマスは暇を持て余している。まだかまだかと仕事を焦らす主人のいない女中たちは気分よく働いている。ただ不安はぬぐえなかった。夜になれば野犬や狼たちの声があの夜と同じように聞こえ城中を恐怖に染め上げていく。そればかりかトーマスとリリィからの話によると体調がよくなってきたとはいえダリオ氏はまだ歩くことは難しく近隣の村中では伯爵に対しての不安が広がっていると聞く。とくにダリオ氏の一件が尾を引いている様で彼の体調が悪いのは伯爵に呪いをかけられたのだなどと噂する者もいるとか。この地方の方にはそれだけ昔の迷信や疫病が残っている。トーマスはいつも伯爵のそばにいるのに「私はなんともないぞ」と言って彼らの不安を取り除いているらしいのだがあまり効果はないようである。なかにはトーマスはすでに呪いにかけられており村人を安心させようとする飼い犬だという人もいるため彼自身も頭を悩ませている。ただ最近では病気で倒れたりする者は一人もおらず妙な影を見たものもいないという噂だけが一人歩きしている状態だった。
 伯爵が城をでてからのこと。私は夜に屋敷へと水を求めて行った時、誰もいないはずの地下室から物音を聞いた。もちろん伯爵は城にいるはずもなく女中や下男が立ち入るはずもない。イゴールは東の塔で仕事をしているしトーマスはもうお休みになっている。私は止められていたが興味に駆られて扉を開けた。階段を降りていくと前のような香りは一切ない。冷たく凍ったような空気があるだけだった。じきに部屋の前へ着くとあきらかに以前とは別の場所だとはっきりする。たしかに部屋の中には誰かがいてなにかごそごそと動かしているようだ。ドアをゆっくりと開けて覗く。
「こんな所で何をしているの?」
 私の目の前には一人の少女が立っている。黒いドレスでめかしこんだ少女は私の声に応えようとこちらを向く。
「なにってただ見ているだけよ。エルザさまこそどうしてここへ?この部屋は伯爵だけが入っていい部屋だと聞いておりますのに」
 イブはいつになく挑発的な言い方だった。伯爵だけだと自分で言っているのにも関わらず当の自分はここでなにをしているのか。言ってやろうと思ったがなにか得体の知れない怖さが部屋を暖めていて言葉が出なかった。
「それは物音がしたからどうしたのかなって思って」
 なぜ怖く感じたのか部屋を見渡しながら言う。ぞくりとするおどろおどろしさもさることながら部屋の雰囲気ががらりと変わっているのが見られる。以前は壁伝いに棚が置かれ原料が所狭しと置かれていたのに関わらず今ではすべてが取り外されて崖の方の壁には棘のようなものが何十本も飛び出している。場所から察すると赤い樹の根の辺りだから樹の根っこなんだろうけど棘は今にも刺さりそうなくらいに禍々しいすがたをしている。
「ふ~ん。エルザさまは好奇心旺盛なのね。私そういう方好きよ」
 まただ。唇のところへ指先を当てて愛らしいしぐさをとるがさすがに心は揺らがない。一度くらい言ってやらないと彼女はこの後もずっとこの調子でいるだろう。
「ちゃかさないで、貴女はいつもそうやって私で遊ぶ。そういうところ私はちょっと頭にきているの」
「あら、怒らせちゃったみたいね。でも私、本心よ」
 私の言葉なんてイブはへっちゃらですぐにかわしてこちらへ来る。私が彼女に合わせて後退していく。イブは笑ったまま私のそばをすり抜けて行ってしまった。どうして彼女はああやって私をからかうのだろう。その度に本心だなどというけれど私たちは同じ女で私には旦那であるログナー伯爵もいるのに。
 ふとため息が漏れてしまう。それがひどく情けなく思えたので心を入れ替えようと深呼吸。そして随分と変わってしまった地下室を見ていくことにする。部屋の中心にある机は何も変わらず置いてあったがその端には血がついている。ほんのわずかだったが黒くなりかけている血だった。床にも点々と溢したような濁点が飛散している。この場所が何をするためのものなのか想像できなくなっていく。部屋の隅には刃物が散々と置かれていたりもして私は地下室を飛び出した。居心地は最悪で胸の辺りがもやもやとしてただ気持ちの悪い部屋と化していた。趣味が変わったなんてものじゃない。戻られたら隙を見て伯爵に聞いてみよう。彼が一言「なんでもない」と言ってくれればそれで私は彼を信じられるのだから。
 地下室のああいった惨状を見て三日。伯爵は連絡もなしに突然帰ってきた。驚くことに彼は誰にも気づかれず部屋へと戻って寝ていたのだ。城の中は広く暗い、しかし外から誰かが入ってくれば誰かが見るはずだ。忙しなく働いているものは入るのだ。誰一人、伯爵の姿を見ないなんてはずはない。私たちは彼がひどく疲れていて一刻も早く部屋へ戻って休みたかったということにして事は収めた。ただ余りに突然すぎて地下室の一件を聞くことはできなかった。
 夜のこと。夕食を終えた私は完成しない肖像画の前で本を読んでいた。なぜかこの場所にいると落ち着くのだ。傍ではトーマスがリリィになにやら勉強をほどこしているようでその姿はまるで恋人同士のようにも見える。私も伯爵とああいった時間を過ごしてみたいものだ。結婚したとはいえ生活は一向にすれ違いをしたままで一日の大半を一人で過ごしている。はじめのころ彼の体調がどういったものでそれも含めて彼を好きになったのだと決めた心はもうどこか綻びかけているようでならない。
 虚ろな心を吹き飛ばしたのは女中の声だった。屋敷はおろか伯爵のいる塔にまで聞えるかというほどの大きな叫びにびっくりして私は読んでいた本を落としてしまった。トーマスたちも驚いて私達は声のほうへと急いで駆け出した。
「どうしたんだ」
 私たちの着いたとき調理場では一人の女中が尻餅をついて震えていた。はじめて来る調理場に目を取られるけれどなにも不思議な点はなかった。さっき叫んだ本人はただこの場所で震えている。
「何があったか聞いているんだが?」
「あぁ、あく、あくま。悪魔です!悪魔が出たんですよ!あれは絶対悪魔です」
 とても正常な口ぶりじゃなかった。混乱している彼女をトーマスは介抱するのだが力が入らないのか持ち上げられない。すぐさまリリィが片方を担いで隣りにあった椅子へと座らせた。
「悪魔だなんて不吉よ」
 私は言った。
「そうだぞ。第一、悪魔とはどんなものなんだ?抽象的すぎてわからん」
「悪魔ですよ!あたしだってあんなのはじめてみたんですよ!あの樹の傍にね、こう……黒い人影が現れて」
 女中は必死になって説明するが私にはそれが妙で仕方ない。彼女の見た影はおそらく月の光でできた赤い樹の影が偶然そう見えたとしか思えない。それはトーマスもそう考えたのだろう。
「それじゃ悪魔じゃなくて人の影か?月の光で樹の影が人のように見えただけだろう。怖がることはないよ、私だってそういう時もある。だがそんなものまやかしだよ」
 その言葉は私の心にも伝わってくる。そうだ、不幸続きのなかでも幸せはある。いずれこの不幸も晴れていく。
「でもあの悪魔……動いたのよ?すーって」
「今日はもう寝なさい」
 まだ見たものを語ろうとする女中を宥めるトーマス。私は一通り見終えると再び肖像画の前へと戻る。私と行き違いに声に集まってくる女中たちは慌てて走っていた。私は眠気がどっと押し寄せてきてゆっくりと歩を進めていくのだがその中で伯爵の声を聞く。気づけば地下室の傍だった。扉がかすかに開いていてそこから声が漏れている。塔にいると思っていたけれど違っていた。彼はさっきの叫びが聞えなかったのかはたまた興味がなかったのか地下室で何かしているようだった。
「いかがされましたかエルザさま」
 突然、目の前に現れたのはイゴールで彼もまた女中の叫び声を確かめようとしている最中だった。
「いえね、さっきの叫び声、伯爵は気づいてないのかなって」
「聞えているのかどうか……最近のログナーさまは地下室に篭られてばかりで外のことには興味がない様子。エルザさまは地下室をご覧になられましたか?」
 その問いに私はいいえと答えた。
「前に馬車が教われたことがあったでしょう。あの後ですよ、地下室のなかを空っぽにしてご自身でどちらからかわからない人を雇って住まわせて何やらやっているのですがまったくお話してくださらない。心がやんどるのでしょうかな、はやく治るとよいが……」
 イゴールの悲しそうな瞳が頭から離れない。彼はそう言って調理場のほうへ行った。しかし妙なことを聞く。私が入ったとき地下室にはイブしかいなかったはず。他に誰かがいたようには思えない。なら今は?伯爵は地価で何をしているのだろうか不気味さがあった。そういえば彼女はなにをしているのだろうか。いつもなら「何かあったの?」なんてからかうような少女の微笑と一緒に現れるのに。
 眠気に勝てずにベッドへと入った私は身体を揺らされておきる。まだ陽の昇っていないのを見ると夜だとわかる。私の部屋へ入ってきたのはリリィだった。彼女はひどく慌てた様子で私の身体を揺らす。
「お嬢様、起きて!起きて下さい!」
 それほど眠っていなかったのか私はぼやけたまま彼女の言葉を聞く。
「すぐにここを出ましょう」
 まったく女中もそうだがリリィまでもどうかしてしまったようだ。もしかして彼女も悪魔とやらを見たのだろうか。目がさめていく中、私はどうしてと聞いている。
「説明はあとです。それよりも早く行きましょう」
「どこへ行くって言うの?」
 なぜか彼女が必死になるほどそれが面白く思えてきてしまう。からかうつもりはないけれど女中と一緒なんだと思った。だから彼女の言葉は混乱して焦っているだけなんだと。
「牧師様のところです。私の知っている良い牧師様がおられます。その方のところへ行けば!」
「行けばなに?悪魔は現れなくなるの?あなたも疲れているのよ。ゆっくり寝なさい」
 私はベッドから動こうとはしなかった。そのかわりにリリィのほうが「わかりました」と意気込む。
「では私が戻られるまで決して危ないことには近づかないようお願いします」
 私がうなずくと彼女は唇を噛締めて走り出す。いったい彼女は何を言いたいのかどうしてこの城から出ようなどと言い出したのだろうか。再び眠ろうとする頭で考えられるはずもなく暖かなベッドの中へと身を沈めた。
 昼過ぎに目を覚ますとリリィは本当にいなくなっていた。女中たちは彼女のことは見ていないらしく首を横に振ってばかりだった。それどころか女中の何人かが昨夜から見当たらなくなっているらしく城の中を探し回っていた。リリィの行方を聞いていたのはトーマスだった。なんでも陽の昇る前に馬を一匹借りて遠出した模様。本当に牧師を呼びに行ったのかしら。なぜそこまでするのか私は夜になるまでその意味を理解できなかった。周囲が忙しく動く中、私はイブの姿を探していく。女中が悲鳴をあげた時もそうだが今も城の中は騒音でいっぱいになっている。そこかしこで名前を呼ぶ声がしている。けれども彼女は一向に姿を現さない。いつもなら私と同じころには目を覚ましているはずなのに彼女は姿をみせない。彼女の部屋に着くとノックしてみるが一切の返事がない。どうしたことか何の返事も返ってこない。ドアノブに手をかけると鍵はかかっていなかった。躊躇なく私は部屋へ入る。彼女の部屋へ入ったとき、地下室で感じた冷たさを感じた。
 イブの部屋には大きなベッドがある。その上いたのはイブではなく女中だった。なにをしているかなんて考える必要もなく即座に恐怖が襲ってきた。白いはずのベッドは真っ赤に染まっていて床へと雫が落ちていく。惨劇が繰り広げられただろう部屋には誰もいない。ただベッドの上に三人の女中が首から血を流して倒れているだけだった。私の声は城全部へ届くくらいに轟いたろう。探し回っていた者達がすぐに集まってきた。
 ベッドに倒れていた三人は皆が同じように身体中の血がなくなっていて死んでいた。どうやってそうなったのかトーマスは正直、どのような方法で抜き取ったのか解らないと言っていたが首筋の痣を見る限りそこからなにかしたのだろうと応えた。女中たちの探していた者達が悲惨な状況で発見され悲しみに暮れている中、イゴールが慌ててやってきた。「ログナーさま、ログナーさま」と叫びながらって来る。
「そんなに慌ててどうしたの?今は伯爵よりも彼女たちでしょ。第一イブはどこへ行ったの?」
 息を整えながらイゴールは話し始める。
「村の男たちが一斉に押しかけてきてるんだ!やつら頭に血が上って悪魔を殺せなんてほざきよる。このままじゃログナーさまもエルザさまも殺されてしまう!早くお逃げなされ!」
 あまりのことに唖然としてしまう。でも彼の言っている事は本当で屋敷の外壁前から罵声と怒号が響く。それは今にも門を叩き壊して入ってこようとする水流のよう。
「ログナーさまは!どこにいるのですか?」
「た、たぶん地下よ」
「私ができるだけ止めておきます。エルザさまとイゴールさんはすぐにログナーさまを!」
 村人たちの力は凄まじく門を叩き割ろうとしている。女中たちはおびえてしまってただ震えるばかり。トーマスの言うとおりに私達は彼のいるであろう地下室を目指す。屋敷の廊下を走っていけば蝋燭が風で消え暗い道を作り上げていく。地下室のほうからはやはり伯爵がいるようで彼の笑い声が聞える。足音を立てずに降りていた階段を私たちは急いで進む。
 地下の空気は完全な狂気で染め上げられていた。部屋の中で繰り広げられていたのは殺人とは言いがたいまさしく殺戮。私は余りの事に機を失いそうになる。でも目の前でおきていること、地上からやってくる村人たちに挟まれて行き場を無くしているように心は私から離れなかった。
「ああ、なんと言うことを」
「イゴール!ここでなにをしている!」
 こちらを見た伯爵の瞳はもうすでに以前の彼ではなかった。顔には血を浴び持っていた人を手放す。
「こないで……」
 もう彼は彼ではない。本能で察する。あのやさしかった彼がなぜ?この目の前にいる人は誰?私の頭は混乱しなにが正しいのか今がどういうときなのかわからなくなっていく。
「何てことを言うんだエルザ。私の妻よ。こちらへ来るんだ」
 手を差し伸べる彼。私は首を横に振って地下室を出る。イゴールは追ってこなかった。私はそれでもいいと思った。もう何もかもが信じられずにただ走る。どこへ?行く場所はない。屋敷の中に村人たちが入ってきたようだ。足音が聞えてくる。その音は湖へ続く廊下側から聞えてくる。私の足は自然と階段を上っていく。屋敷の中は暗闇で一寸先さへ見えてこない。勘だけを頼りに走っていく。
 屋敷の屋上へ出たときだった。私は彼女と出くわした。
「エルザさま、どうしたの?そんなに慌てて……それにひどく怯えているわ」
「ログナーが!変なの!それだけじゃないわ!このお城もなにか……そう、あなたの部屋で女中が!」
 私は正気を保つのが精一杯で彼女に自分が言っている事が伝わっているかなんてわからないまま話していた。彼女はうなずいて話を続けてくる。
「ええ、そうよ。おかしいのよ」
「こんなときになにを!?」
 イブはいつもと一緒だった。怯える女中、豹変した伯爵。みんな変わった。けれどイブは私の目の前でいつものように可憐に微笑んでいる。
「こんな時だからよ。エルザさま、これが最後の言葉よ」
「好きよ、エルザさま。私と来て」
「わからない、あなたが……伯爵も…」
 本当、イブの言葉がどういう意味なのかそして応えることの意味を私は理解できなかった。
「いたぞ!!」
 屋敷のほうから声がした。振り向けば松明を持った村人たちが怒り狂った目でこちらを見ている。「あなたも逃げて」振り返ってイブへ告げようとするが彼女の姿はそこにはなかった。
「あの女だ!」
 背後に迫ってくる狂気に私は怯え逃げようとする。しかしどこへ逃げるというのか行く先などここにはない。両端にある塔の下からも村人たちがやってくる。追い込まれていく。私は崖を背にするしかなくなって彼らと対峙した。
「あの女が来てからだ!あの女を殺せ!」
 殺せと言う言葉だけが繰り返される。じわりじわりとやって来る彼らに私は一切抵抗できずにいる。ただ殺されるを待つだけしかできない。刹那、足が竦み私の身体は風に驚いて城から落ちた。このまま崖から落ちて死ぬのかしら。こんな死に方はいやだ。暖かな死が良かった。私の身体は崖に沿って落ちていく。地面に叩きつけられるのだろうな。痛いだろうな。そう考える時間があったことに驚いているともっとひどい痛みを背に受けた。
 目はひたすら空を見上げつきを眺めている。私の身体は赤い樹にぶつかり花の中央で串刺しになっている。美しい容姿とは裏腹に棘があり私の背面に何十本も刺さった。こんなにも哀しい死でいいのだろうか。私が何をしたというのか。
 身体が熱くなる。棘が命を吸っていく。意識は朦朧として私はすべてを失っていくのだ。
 そうやって赤い樹とともに私の身体は崖からもがれて落ちた。
 最後に見たのはあの頃と一緒。伯爵とともに見た琥珀色に輝く月だった。
関連記事
2013-01-15 : 小説 : コメント : 0 : トラックバック : 0
Pagetop
コメントの投稿
非公開コメント

Pagetop
« next  ホーム  prev »

プロフィール

之ち

Author:之ち
之ち(ユキチ)

小説中心に活動中。
ジャンル問わず面白ければ好き。
大阪在住・12/28生
相互リンク募集中です

カウンター

おすすめ





予定